珠洲だより

                                        2012年

2012/3/20     亡き、全日根さんに会いに工房へ                      vo.11
  
  昨年の11月末日、全日根さんが亡くなられた訃報が届きました。
昨年の夏、個展で2泊我が家に宿泊しいろんなお話をお聞きしたことが思い出されます。
  雪が解け、あれから4か月。全さんが1人で建てたという自宅と彼が一番居た場所である工房を訪ねてきました。

  『星山窯』とつけたのは、星がいっぱい降ってくるような場所だから・・と電話口で答えてくれていたのが分かりました。奥様の御迎えで駅から15分くらい離れた小高い山の上の自宅と工房に到着。丸い石を積み重ねた壁。こんなに大きな梁を一人でなんとかしようとしたことの強さや、小さなステンドガラスのような?!ユニークな図案など、全さんの遊びがあらゆるところに散りばめられている。玄関の扉前に積まれた過去のDMに全さんの歴史と厚みを感じる。奥様がさっさとお昼ご飯を作って出して下さった。赤米、キムチ、切り干し大根、トックなどなど。他の器を買ったら怒られたというだけあって、漆以外はすべて全さんの器。なぜだかピカピカして「どう?綺麗でしょ」と誘惑している感じ。本当においしいごはんと奥様との会話は一生忘れられないものとなりました。  

 薪窯にこだわっていた全さん。
ここで首にタオルをかけて、焚いていた姿が目に浮かびました。

 下の写真は自宅下の工房。扉を開けると、空気がさぁーと入っていきそうな、気持ちの良い空間。 
 奥には作品がずらり並ぶ。時間があれば土を触っていたというだけあって、たくさんの作品が残されていた。
 でも、これ以上は増えることが残念ながらない。だからこそ、一点一点私も全さんと向き合う気持ちで作品を選んできました。香合、抹茶碗、陶俑など個展の時のテイストとはまた違う全さんを見ていただけるかと思います。
  工房の前にぽつんと置かれた椅子。きっとここに座られていたのだろうと思い写真を撮ると、奥様がいつもそこに居て、みんなを迎えていたのだと教えてくれた。

  「彼は自分の居場所を見つけるのに命がけで陶芸をしていた。命をかけていたんです。」と言われる奥様の言葉が、心に刺さった。

  自分が日本人であること。両親から生まれ、その先にいる人たちから守られているという当たり前を、もっと大切にしなければいけない。

  全さんと奥様の軸に流れるものに、強さと厳しさを感じた。

  でも不思議と作品は力が抜けた、優しいものであるように改めて思う。 
  下を見下ろすと梅の木が満開。
  
 同じひとときが決してこないこと、だからこ愛おしく大切であるこれからの日々を大切にしていきたいと思う。

 全さん、向こうでも楽しいもの作っていてください。
 

2009 2010 2011 戻る