珠洲だより

                       2012年

2012/1/13  井内淳司さんの工房を訪れました! vo.7
 
 石田彩さんの工房を後にして井内敦司さんの工房へと、矢野太昭さんが引き続き案内して下さった。
 
 矢野さんが、ガラス以外の作品を初めて発表した時に作品を買って下さったのが井内さんのお父さんだったそうです。古代ガラスの技法をマスターし、これからという時に一旦ガラスから離れた矢野さん。いろんな思いの中作ったものを、「買う」というかたちで評価してくれた初めての人。その時のことを忘れませんと、とても大事そうに話して下さった。
 今はその息子さん井内淳司さんに吹きガラスの道具を作ってもらっている。

 道路に面した壁に素敵な看板を見つけた。倉庫のような建物の中には、鈍い鉄色一色で「男性の仕事場に来た。」そんな感じが漂う。
 まず目に入ってきた、バラの花。やわらかい花びらが鉄でできていることにため息が出る。フェンスや手すりなどに使われるらしい。 

 大学で現代美術を勉強していたのから一転、とにかく技術を身に付けたいと町工場へ入った井内さん。当時の町工場には、大砲を削るので旋盤を覚えたとか、戦闘機の部品を作っていたとか、 筋金入りの職人さんがまだ健在だったという。そのスピリットみたいな ものを何とか受け継ぎ、忘れ去られようとしているベースのようなものをしっかり肌で感じ身体に叩きこんできたようだ。
 岡山では古代より製鉄が行われており、かつて古代鉄の一大生産地の覇権をめぐって諸国が争い、「吉備国の鉄の覇権をめぐる争い」が「桃太郎の鬼退治」でなかったかという説もあるそうだ。
 かつての鍛冶屋の 槌音と自分の槌音が重なっているような、そんな気がすることがあるという。同じようにこの炎で鉄を「赤め」て、 多分同じようなこの肘の角度でこのタイミングで鉄を叩いていたのだろうと。
 工具を握り、鉄を焼き、淡々と鉄を叩く。少しずつしか変化しなくとも、熱く焼かれた鉄は井内さんの手によってやわらかな曲線となりのびていく。いつかこの手業を見てもらえる機会を作りたい。そして井内さんの中で生き続ける、作り手のスピリッツを残していける仕事をしていきたいと思う。
 

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